蚵仔寮 百年の歴史を誇る漁港
「蚵仔寮(オアリャオ)」は、高雄市梓官区に位置する漁港である。ここは、清朝時代に地元の漁師たちが寮を建ててカキの養殖をしていた場所であるが、カキは台湾語で「蚵仔(オア)」と言うことから「蚵仔寮」の名で呼ばれるようになった。その後は第二次世界大戦中、日本政府に軍用地として接収され、また海の波の浸食が度重なり、カキの養殖棚は徐々に姿を消していった。1980年代にはボラが高級魚としてよく売れ、大漁時には一晩で百万元の収入が得られた。ボラは中国語で「烏魚」と言うが、お金をもたらすことから「烏金」の美称でも呼ばれる。残念ながら最近では、他国での漁獲や地球温暖化の影響により、以前ほどの漁獲量は得られなくなった。
高雄の市街地から蚵仔寮漁港までは車で約30分。魚市場では毎日正午からセリが始まる。梓官区漁業組合の蔡政財理事は、「蚵仔寮の漁師の生活はその日の天気しだいです。天が与えた魚が何であれ、それで生活するのです」と語る。天はときに細身のイボダイを、ときにオキアミを、ときに深海の白身魚を、ときに活きのいいヤリイカを「出荷」する。蚵仔寮の魚市場のもう一つの特色は、魚介のセリから小売、調理代行までのサービスをワンストップで提供し、高雄のグルメファンが足しげく通う「海のキッチン」となっていることだ。
梓官区漁業組合は、今からさかのぼること20年前、伝統的な魚市場を改革し、現代的な「蚵子寮魚貨直販センター」へと変身させた。ここは台湾でもいち早く食品安全管理認証HACCPを取得し、魚を地べたに置くことをやめた初の漁港でもある。セリ会場では、漁師や販売者、セリ人が必ず帽子と長靴を着用し、たばこを吸ったり檳榔を噛むことは禁止され、地面には魚介の墨や汚れを洗い流すための水道管が設置されている。計量エリアや加工エリアも整備され、まるでスーパーマーケットのようにきれいで清潔だ。漁業組合は今年、独自の冷凍技術を用いた「移動冷凍車」を開発した。張鈞華総幹事は「これまで、桃源、甲仙、美濃などの遠い山地で購入できる魚介類は種類が限られていました。移動冷凍車があれば、そうした地域へ直接赴いて販売できます。いわば移動する魚市場です」と意気込みを語る。
百年の時を越え、蚵仔寮の漁師たちは「新鮮さ」の看板を守り、安全な魚介を届けるため、新たな時代の波に果敢に立ち向かっている。