甲仙書店 游永福とイギリスの写真家ジョン・トムソンの出会い
高雄の山地を初めて撮影したのは誰だろうか。答えはスコットランドの写真家、ジョン・トムソン(John Thomson)だ。1871年、トムソンと宣教師のマクスウェル医師は、アモイから船で高雄に至り、その後20日余り台湾を旅した。打狗(現在の高雄)から台湾府城(現在の台南)へと進み、その後東に向かって、甲仙、荖濃、六亀里(現在の六亀)の山地へと入っていった。トムソンはこれらの地で59枚の写真と旅行記を残している。それから100年余り経った頃、甲仙書店を営む游永福氏は、たまたまトムソンによって撮影された自らの故郷の写真を見つけた。ここから18年間に及ぶトムソンの足跡を辿る旅が始まったのだった。
書店の店長である游氏と、写真家のトムソン。違う時代に生まれた二人の人生が初めて交わったのは、2001年のことだった。当時、游氏は高雄市甲仙区の文化や歴史の研究に取り組んでいた。たまたまめくった『フランス秘蔵―台湾初期の姿』という本の中に、トムソンが撮影した「甲仙埔と荖濃の間の山渓」という風景写真があり、そこには自身の故郷の100年前の姿が収められていた。また、彼の旅行記の中には、平埔族による歓迎の宴の様子も描かれていた。これらに心を揺さぶられた游氏は、実地調査を始めることにした。トムソンの写真と撮影場所を照らし合わせ、写真に結びつく物語を掘り出していったのだ。
18年後、游氏は『トムソンを尋ねて:1871年台湾文化遺産の大発見』という本を出版した。この本を読めば、150年前の台湾南部の姿を眺めることができ、また平埔族のシラヤ族やタイボアン族の生活の細部まで知ることができる。
トムソンの歩いた道を辿るのは容易ではなかった。写真の中の多くの風景は、すでに変わってしまっていたからだ。2006年、甲仙区にある白雲仙谷の写真から調べ始め、2015年までに7回も当地を訪れた。白雲仙谷には人工設備があったが、途中で洪水により流されてしまった。しかし、設備が流されたことで滝に元々あった岩が顔を出し、長い間求めていた壮麗な渓谷の姿が目の前に現れた。
ヨーロッパには巡礼路が、日本には熊野古道といった「道」がある。游氏は努力の末、トムソンの足跡を元にした「トムソンとマクスウェルの道」を造ることができた。この道を訪れる人は、文化や生態、民宿や土地の料理に触れ、打狗、左鎮、木柵、溝坪、杉林、甲仙、荖濃、六亀といった地域についてより深く知ることができる。
游氏はこの台湾の文化遺産の道が、高雄の山岳地に新しい風を吹かせ、文化や歴史、そして住人達を守ってくれることを願っている。
さらに知りたい方はこちらをご覧ください:
「日照甲仙埔」(中国語)
https://puumen2727.pixnet.net/blog
「イギリスの写真家・トムソン 1871年台湾文化遺産の道(英國攝影家湯姆生1871臺灣線性文化遺産)」(中国語)
甲仙書局老闆游永福遇見英國攝影師約翰・湯姆生
第一位拍攝高雄內山地區影像的是誰?答案是蘇格蘭攝影家約翰・湯姆生(John Thomson)。1871年,湯姆生與宣教士馬雅各醫生搭船從廈門到高雄,開啟二十餘天的臺灣行旅,從打狗港(現今高雄)至臺灣府城(現今台南),更向東深入甲仙、荖濃、六龜里(現今六龜)等地,留下59張照片和遊記。一百多年後,甲仙小書店的老闆游永福看到一張湯姆生拍攝家鄉的風景照,從此踏上長達18年的追尋之路……
游永福與湯姆生,兩條不同時空的劇情線在2001年交會,當時游永福開始投入甲仙文史研究,偶然翻閱《法國珍藏早期台灣影像》,其中一張由湯姆生拍攝的〈甲仙埔與荖濃間的山溪〉風景照,這張照片呈現游永福家鄉百年前的地貌和湯姆生遊記中描繪的平埔族迎賓晚會深深震撼游永福,從此,游永福以偵探式的踏查,比對每張照片拍攝地點,挖掘出許多動人的故事。
18年後游永福出版著作《尋找湯姆生:1871臺灣文化遺產大發現》,帶領讀者回到150年前的南臺灣,認識平埔族群西拉雅族與大武壠族的生活細節。
重建湯姆生的旅程並不容易,許多人文地貌皆已改變。游永福於2006年啟程踏查甲仙白雲仙谷照片,直到2015年第七次造訪該地,白雲仙谷人工設施被大水衝走,瀑布岩層露出原貌,找尋許久的壯麗溪谷終於出現眼前。
歐洲有朝聖之路,日本有熊野古道,游永福正努力規劃以湯姆生的足跡為主軸的〈湯姆生馬雅各之路〉。串連在地文化、生態、民宿及特色料理的遊程,帶領旅人認識打狗、左鎮、木柵、溝坪、杉林、甲仙、荖濃及六龜。
游永福期待這一條臺灣線性文化遺產路徑,能為高雄山區帶來新的亮點,留住文化歷史,也留住人。