百年の伝統 小港龍湖廟の「大士爺祭」
時代の移り変わりとともに、中元節の伝統行事は徐々に失われつつあるが、小港龍湖廟の「大士爺祭」は百年の伝統を保っている。毎年旧暦7月14日から16日の3日間にかけて行われるこの祭りは、高雄の中元節の特色ある祭文化の一つだ。
小港龍湖廟は台湾でも珍しく、黄泉の国をつかさどる神「大士爺」(ダースーイェ)を主神とする廟である。だが、境内に大士爺の神像は見当たらず、厨子にその令牌が祭られているだけだ。言い伝えによれば、自身の鬼神としての姿が人々を怖がらせることを心配した大士爺が、みずからの神像を境内に置かなくてもよいと信者に伝えたためだといわれている。では毎年行われる大士爺祭の際、紙と糊で張り子の大士爺を作るようになったのはなぜだろうか?それについては、龍湖廟の代表者である李文洲さんが、このような言い伝えを語ってくれた。かつて大士爺から龍湖廟の者に、張り子の職人を呼び寄せるようにとのお告げがあった。そのとおりにすると、職人の夢の中に大士爺が姿を現し、職人がその姿を模して張り子で大士爺の神像を作るようになったのだという。黄泉の国を統率する大士爺は、中元節の間に現世に還り、供え物のお香や食事を楽しむ亡霊たちを監督する。中元節における道教の習わしには、あの世の亡霊たちへの思いやりが垣間見える。
小港龍湖廟は、張り子職人一家の四代目である陳志良さんに神像の制作を依頼した。出来上がった神像は、台座から頂部の観音像までの高さが5.2メートルに及び、張り子の大士爺像としては台湾最大の大きさとなった。
大士爺祭の準備の一つとして行われる「串金」作りも、小港龍湖廟に独特の風習である。これは、信者たちが力を合わせて22.4万枚の金紙を「元宝(古代中国で用いられた通貨)」の形に折り、それらを針と糸でつなぎ合わせる作業だ。この串金は、祭りの最後に大士爺の像を燃やす儀式の際、天に昇る大士爺への手土産として、その首元にかけられる。
祭りの初日である旧暦7月14日には、迎えの儀式として、大士爺の像を乗せたみこしが小港の街角を練り歩く。15日の中元節の晩には信者が集まり、大士爺の像を燃やす儀式が行われる。赤々と燃える炎の中、大士爺の昇天を見守るこの行事には、あの世へと帰って行く亡霊たちが災厄を持ち去り、人々の健康と無事が守られるようにとの願いが込められている。一晩明けた16日の午前中、龍湖廟の祭主が大士爺の厨子と令牌を再び廟に安置し、守護神である山神と土地神の像を燃やすことで、大士爺祭は無事に終わりを迎える。